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近畿農政局から,滋賀県高島市の公共施設「たいさんじ風花の丘」に関する報告が公表されています。

http://www.maff.go.jp/kinki/soumu/suishin/sensin/jikyuritsu/0712_3shiga1.html

 

同施設のオープン後、土曜日だけ営業する直売所は半年で4,000人以上の利用があり、約200万円の売上げがあった。地元テレビ番組などに数回取り上げられたこともあり、予想以上の売上げがあったことから、19年4月からは日曜日も営業することにした。直売所を訪れる客の多くは安価で新鮮な野菜を目当てとする京都や大津などの大都市圏からのリピーターが多く、収穫祭には毎回400人程度の客が集まっている。このほか、食育体験などで小学校や保育園、一般の利用者が、年間約50日、施設利用している。同施設では、地域の拠点となり、地域内での交流が深まったとしている。また、生産者と消費者の交流が始まったことで生産意欲が向上し、耕作放棄地の拡大に一定の歯止めがかかった。(抜粋記事)

 

 

 このほどイタリアのエレクタ社より岡田哲史の建築作品集が刊行された。ミラノのエレクタ社といえば,全世界に向けて情報発信するイタリア最大手の建築出版社である。岡田の作品集は,建築家,建築論,建築史のトピックを扱う「documenti di architettura(建築資料)」シリーズの第176号にあたる。本シリーズは主に西洋人建築家を取り上げているが,そのなかに槇文彦,磯崎新,安藤忠雄,伊東豊雄,遠藤秀平,岸和郎,隈研吾,SANAAといった7人+1組の日本人建築家が含まれている。そして,また一人,日本人建築家がイタリア建築界へ正式なデビューを飾った。

 

1970年代以降,西洋の建築界は世界最新の現代建築事情を理解するのに,とりわけ日本人建築家の活動に注目するようになった。この状況がいつまで続くのかはわからないが,少なくとも今なお,日本は世界の現代建築をリードする重要拠点のひとつであり続けている。そして今回,岡田に作品集刊行のきっかけを与えたのも,ヴェネツィア建築大学教授にして現代建築研究の世界的権威であるフランチェスコ・ダル・コーだった。

 

本作品集の巻頭に,ダル・コーは岡田の手法に関する論考を寄せている。実はこれに先立つこと9年前,ダル・コー自身が責任編集する建築雑誌『カーサ・ベッラ』に,岡田の「富士北麓の家」(2000年)が紹介されていた。ダル・コーにとって,本作品は岡田の建築手法を見定める重要な指標となっている。現代建築を研究するダル・コーは,岡田の一連の作品に形態や操作の一貫性,言うなれば岡田個人のスタイルを見ようとするのであり,それが「富士北麓の家」で開花し,のちの「青葉台の家」(2005年),「柿の木坂の家」(2008年),さらに,国際的に高く評価された「清里アートギャラリー」(2005年)にも通じていると理解する。

 

ダル・コーが読み取ろうとした岡田のスタイルは,21世紀初頭の世界の現代建築をわかりやすく理解するために抽出された情報でもある。ゆえに,ダル・コーは「富士北麓の家」に先立つ「まんぼう」(1997年)の位置づけに窮し,これを岡田の?脱線?と評するのである。が,これは自身の組み立てた岡田論のなかに,けっして収まりきらないまた別な岡田の才があることを告げてもいる。たしかにダル・コーの論は,本作品集に収められた建築を形態や図面を手がかりにして見つめるのであれば,なるほどと思わせる鋭い洞察である。ただ,逆に言えば,それでもつかみきれない創造への思いが実のところ岡田にはある。これを示すのが,ダル・コーの後に載せられている岡田のエッセイ「建築の強度」である。岡田の論は建築の形態や操作に言及しない点で,ダル・コーの論とは対照的である。

 

この岡田の論考を読むにつけ,ダル・コーが提示した認識のフレームより,もうひとまわり大きなフレームがあってもよいのではないかと感じられた。そのフレームとは,建築形態から読み取られる傾向よりは,もう少し抽象的で美学的な作家の意識や態度を捉え,おそらくは今回ダル・コーを逡巡させた「まんぼう」をも建築家の一貫した創造の跡として包含するものである。今のところ本作品集はイタリア語版しかないが,機会があったらぜひ手にとっていただき,近年の現代建築言語を念頭に置きながら,全作品をじっくりと眺めていただきたい。ダル・コーの読み,岡田のねらい,両方セットで建築の現在が理解できるはずである。

 

日刊建設通信新聞社 20091022 「今月の焦点」

 

 

読者は今,ひとりの建築家が自分の仕事の経緯を説明しその結果を記述する本を手にしている。建築家は自分の仕事を他者に明確に伝えるため,言語をはじめ自分が意のままに操れるあらゆる手段,つまり言葉やスケッチ,図面や写真を使用するものである。岡田はこの本のなかで,みずから計画し完成させた建築作品についてどこが重要な点であるか説明するだけでなく,各々の作品を解説する短いテクストも書き,スケッチや図面や写真もみずから選別した。彼は一種の「建築的自伝」をやり遂げたのである。そのさい,余分と看做される情報は潔く取り除き,実はその点にこそ彼の個性の非凡さを認めることができるのだが,結果として小さな自叙伝を首尾よくつくりあげた。それは近年45歳の節目を過ぎた作家本人のための自叙伝なのである。

 

岡田の建築家としてのデビューは前世紀の90年代まで遡る。初期の作品群はすでに,彼がそれまでに経験した異種混交を特徴づける教育がいかに重要であったかを示している。事実,岡田が最初に教育を受けたのは東京にある早稲田大学であったが,日本で設計実務や大学教育に携わるまえに,ニューヨークのコロンビア大学大学院を修了している。彼の作品は,そのふたつの教練が結実したものなのだ。岡田が自国の大学で学び建築研究をおこなうという経験をしていなければ,アメリカの大学で学びニューヨークの環境で体験したことはまったく無邪気なものに終わっていただろう。彼の作品に対する厳格な姿勢は,なんでもかんでもつくりさえすればよいといった安易な姿勢を許さなかった。それゆえ緊張感を失した作品は極めて稀で,たとえそれが見受けられたとしてもせいぜい幾つかの逸脱=脱線が散見されるにとどまっている。岡田が実現させた住宅,たとえば富士北麓の家(House in Mt. Fuji)から青葉台の家(House in Aobadai)や柿の木坂の家(House in Kakinokizaka)までにみられる住宅の数々を観察し,それら作品群をつなぐ一本の補助線を引くと,Villa Man-Bowに代表される逸脱=脱線に気づかされる。しかし過度の願望を伴った施主の寛大さが,断ることを易としない建築家にとってある種の誘惑となることは別段稀な話ではない。そう考えるとこの補助線は,ごく稀な例外を除いて,論理的に関係する一連の道筋で走査=追跡することができる。岡田の建物の構造概念を表わす単純明快さはいつも優美な構成を伴っているが,それは彼が建築材料をいかに使用し,建物のボリュームをいかに扱うかを弁えているからである。富士北麓の家(House in Mt. Fuji)は建築文化の国際舞台で最初に陽の目を見た作品であるが,それこそがまさに上述の考察に根拠を与える建築である。自然環境の保全を前提とし面積も限られた敷地のなかで,この建物は一枚の壁が対角線状に横断する直方体で構成されている。その隔壁は木構造における安定性を保証するだけでなく,公私の空間領域を画定している。このように最小限にまで還元された建物の構成はたったひとつの身振りによって帰結したものであり,テクトニクス=構造学に裏打ちされた建築空間を構成する単一の記号によって表現されたものなのである。

 

この経験に端を発して岡田は,建物の安全性を担保しつつ,ふたつの方法=戦略を展開してきた。そのひとつは空間を構成するグリッド構造を分節することにより,たったひとつの構成要素へと本質的に還元する方法である。もうひとつは全体を覆うラッピング=被膜を想定し,それから削り取るという操作を伴う方法である。この並行するふたつの方法を示すために幾つもの例を挙げることはできるが,ここでは浜田山の家(House in Hamadayama)に絞って見てみよう。この建物を観察すれば,富士北麓の家(House in Mt. Fuji)から導入された構造概念の影響下で(浜田山の家が)いかなる進化をもたらしたかがわかる。あるいは,岡田の遂げた進化のなかで究極の事例として若葉台の家(House in Wakabadai)を挙げられるが,この家の設計で試みられたコンパクトなボリュームから一連の切削により形態をつくる実験が影響として(浜田山の家に)どのような進化をもたらしたかがわかる。ここで取り上げた事例がどんなふうに見えようとも,それが単一の構成法から派生したものであることに異論はない。事実,岡田によるプロジェクトはおしなべて対比表現をとるが,それはこの建築家が仕事を進めるなかでおこなう「削る」という所作と「形づくる」という所作が,弁証法的に解決不能な関係を保ちながら相反=対立していることに起因する。この相反=対立は直截的な表現をとるが,しかし直線と曲線の対比においては何かしらの余地が残されていないわけではない。先端部によって分節された平面,緩慢な連続性もしくは継続性,そして切断と連結といった表現は岡田の作品には容易に観察することができるが,どの作品も目指しているのは,建物の彫刻性もしくは表面性に対する志向というよりむしろ,建設=構築に対する志向によって産み出される効果である。岡田のプロジェクトのなかには,削るという操作が形づくったものを壊してしまうという事例,すなわち前者が後者を凌駕してしまうという一見矛盾する例もある。それは具体的に高島市の農村コミュニティセンター(Agri-community Center)や旧軽井沢の別荘(Villa in Kyu-Karuizawa)に見てとれるのだが,これらの事例では,たとえ建築構成要素の点で建物全体の組織から自由に独立した平面的特徴が認められなかったとしても,あるいは使用する材料や計画された色彩効果の点で特徴が認められなかったとしても,削るという操作が度を越している感は否めないのである。

 

他方,岡田による作品においてさらなる成功を納めた事例のひとつとして,2005年に山梨県で実現した清里アートギャラリー(Gallery in Kiyosato)がある。それもやはり「削る」と「形づくる」という相反=対立する操作によってうまれた建築である。しかしこの建築には,その根拠(相反=対立)に揺さぶりをかけるほどの緊張感が迸り,それを抜きにこの建築の成功を語ることはできない。林のなかに挿入された建物は,薄い形状をした4枚の葉がそのまま立ち上がり,地面に悠然と身を横たえているようにみえる。これら4つの構成素は,幾度となく湾曲と屈折を繰り返し,3次元的に展開し,各々が構造として機能するだけでなく,各々が諸機能を内包するという役割を担わされている。実質的な空間は構造素相互のあいだにつくられる。4つのボリュームに挟まれた空間の端部は,開口部としてガラスのカーテンウォールが形成されているため,その先に広がる自然の風景に向かって開かれている。このガラスと木の表面で構成された膨らみをもつ湾曲体がどんなに連続しているとはいえ,建物の形態を画定する以上,それらを分離する切断面や平面を分節する端部は存在する。その先端は自然のなかに楔のように挿し込まれているが, その形態はもっとも抽象的なボリュームとして自然のなかから引き出されたものであり,建物は鋭い様相を呈しながらも端部にいたるまで優美さを漂わせている。

 

もうひとつ興味深いことがある。それは岡田の建物に見られる形態の厳密さ,建設の正確さ,構造概念の明晰さが,彼にとってそれがどれほど当然のことであるとはいえ,そして彼がこの本のなかで再使用した図版の選別にどれほど細心の注意を払っていたとはいえ,普通では考えられない設計のアプローチによってもたらされている点である。岡田のほとんどのプロジェクトでは,小さな水彩画もしくは水彩スケッチ,あるいはたとえその種のものでなかったとしても,清里アートギャラリーの場合のように,示唆に富んだ絵画(ルネ・マグリットの絵画「白紙委任状」を指す)から形態づくりが始まる。この非今日的な設計手法*はしかし,根拠のないものでも,また歓迎されざるものでもない。実際,日本芸術を知る者,そしてそれゆえに水彩画が日本芸術のもっともすぐれた絵画手法のひとつであり,本質的かつ倫理的重要性を有するものであることを知れば,これらの小さなスケッチは岡田の建築観を十分雄弁に物語るものであり,それゆえに有意義であることがわかる。そのスケッチは,彼がつくりだす構成の外科手術にも匹敵する精緻さが,深くは伝統に根ざすものであることを証明している。その伝統にあっては,精緻さゆえに崇拝の対象となり,(水彩画特有の)透明性ゆえに修正不能なタッチが最も貴重な芸術的表現のひとつとして同定され,フランク・ロイド・ライトがかつて述べたように「とるに足らないものを消し去るためのシンプルさ」が目標とされてきた。

 

私が「建築的自叙伝」と称する本書を推奨する理由は,岡田をめぐって横断する一連のテーマ,モティーフ,そして良識にある。とりわけ,この本のなかで示される"非今日性なる今日性"は,我々(=西洋)が再発見をめざして挑もうとする建築文化によりいっそう近いものであり,それが我々にどれほど多くのことを明示してくれることか。しかもそれが,ゴッフレド・パリーゼが「優美さは(あからさまにも)冷ややかなり」と解釈した国,日本から発せられていることを知れば,なおさらのことなのである。

 

註:*ここでいう「非今日的な」設計手法とは,昨今のコンピュータ・テクノロジー(例えばコンピュータ・グラフィクス等)に多くを依拠しない設計方法をいう。

 

Satoshi Okada - i miei progetti la mia architettura - presentazione di Francesco Dal Co, Mondadori Electa, Milano, 2009